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何でも写真集〔保存版〕

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紅葉の時期もまもなく終了

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   懐かしい競馬ゲーム

2017-09-30
 先日自分が小学生の頃に流行っていて友達と毎日夢中になって遊んでいた競馬ゲームが出てきたと札幌の知人からメールに写真を添付して送ってくれました。話を聞くと今と違いおもちゃもなかなか買ってもらえない時代でした。彼も50才半ばに近づき昔一緒に遊んだ友達を思い出し懐かしさを感じる事が多くなったそうです。今は亡きお父さんが買ってくれたゲームです。写真を見ても大事に使っていた事がわかります。箱がとても綺麗ですね。そうなんです子供が大事にしていたのを知っていたお母さんが何十年もしまっておいてくれたのです。忘れかけていた母の優しさを思い返しちょっぴり涙ぐむ彼でした。急に生々しい話になりますがみんなの愛情のこもったこのゲーム機は「なんでも鑑定団」にお宝として出したらいくらの値がつくでしょう?

    山ぶどう

2017-09-23
 9月16日久しぶりに阿寒湖に行ってきました。海だけでなく阿寒湖でもワカサギが不漁だったそうです。湖畔のお店の壁にブドウの蔓が張り付けた感じで有り良く見たらブドウのふさが沢山なっていました。大きな房が沢山ついていてびっくりしました。私たちも若い頃はブドウを取りに山に行ってもなかなかこんなにたくさんついているのは見たことが有りません。初めて見ました。昔は良く山にブドウとりに行きましたが熊がでたという話を聞くとやはり怖いので行かなくなりました。

   昔の電話機は美しい

2017-09-16
 今はなかなか見られなくなった昔からある黒い電話です。左の電話機はお母さんと同居するとき大事に使ていたものです。今も現役で活躍しているそうです。中の電話機は大楽毛のラーメン屋さんで昔から大事に使われていています。右端は新しい電話機に交換するときにもらったもので昔の電電公社のロゴがついています。この電話機は昭和40年中頃からダイヤル式の電話が一般家庭で普及されはじめほとんどの家庭でつけたのは40年後期です。昭和25年頃は電話を引いている家は数える程でハンドルをぐるぐる回し交換手(当時は郵便局)さんに「どこどこの5番とか」申し込み相手の家につないでくれて話が出来ました。この機種の前の電話機は大きく受話するのと送話るのは別で壁に備え付いていました。また市内でなく離れた場所では申し込んだあと一度受話器を切り局から電話が来てお繋ぎします。で相手と話が出来ました。場所によっては何時間も待たされました。また電話のないところには電報を打っていました。電報がきたら一瞬緊張しました。「チチタオレタスグカエレ」とか切羽詰まったものが多かったようです。この時代は電話の交換業務や電報は郵便局の仕事でした。田舎の局では家族中で24時間束縛されているような仕事で電報がきたら、よる夜中でも届けなければならなかったそうです。

 タウシュベツ川橋梁

2017-09-09
 行ったことはないけど旧ローマの水道橋(世界遺産)を感じさせるタウシュベツ川橋梁です。この橋梁は昭和12年に建造したコンクリート制でアーチ橋です。糠平ダムの建設によりこのあたりの一部の土地が水没しました。水かさによっては見えることもあり「幻のアート橋」と呼ばれています。地域の文明のために残念な事に素晴らしい鉄橋が犠牲になったのですね。水害にならないためとか電気の発電のために消えていった物は沢山有ったのでしょうね。後の人のために犠牲になったと思います。自分の住んでた村、思い出のある場所が消えてしまうのですから。水が少なくなった時期だけ見られるからよしとしなきゃなりませんね。

  健さん有難う

2017-09-02
   自称健さんファンの友人が若いころお酒が入ると網走番外地を歌っていた。私は健さんの名前くらいしか知らなかったが毎回この歌に 酔 いしれたように歌っているのを聞いているうちにすっかり覚えてしまった。それから何十年もたち先日来新聞などで報じられている高倉健追悼特別展が開催されているのを知った。かの友人やはり黙っていられず下記のメールが届いた。彼の思いを皆さんにもお伝えします。健さんは数々の賞を受賞され晩年はまさに名優であった。大学を卒業して東映に入り全く未知の世界に苦労したようだが壮年期に任侠路線で一世を風靡し一時代を築き上げたが、任侠イメージが強すぎた為、東映からフリーになりやっと自分で選んだ映画に出演出来るようになって数々の名映画を残した。余計なテクニックを廃し、最小限の言葉で、演じる人物の心に込み上げるその瞬間の心情を表す台詞・動きを表現する芝居を真骨頂としており「俳優にとって大切なのは造形と人生経験と本人の生き方」とも言い切る。ホール四方に健さんの任侠映画の予告編が壁一面に常時映写されており大迫力で圧巻であった。青春時代に東京で封切りではなく三流映画館の2本立て100円で上映されていたのをよく見に行った。網走番外地・昭和残侠伝など最後の最後に堪忍袋の緒が切れて健さんが悪党を退治する場面で、よく「健さん!」とお客さんが興奮して大きな声を出しているのが蘇った。
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