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何でも写真集〔保存版〕

北海道新聞
日本経済新聞
毎日新聞
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紅葉の時期もまもなく終了

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  お宝です

2016-05-05
 石川啄木ファンなら喜びそうな写真です。左に座ってるのが啄木さんが釧路在住時の彼女,小奴さんです。中の方は小奴さんのライバルといわれていた梅川みさおさんです。右は小奴さんの同僚で小静さんです。どうして3人が並んでいるのか不審でしょうが実は私の父は釧路啄木会の会長をしていた時に3人に集まってもらいインタビューをしているときの写真です。この時、回りに6名の方が証人なのか傍聴しているのかどうかはわかりませんが同席しています。写真は切り抜いてお三方のみ掲載しました。

  江戸東京博物館と周辺

2016-05-01
 徳川幕府は正確には265年間日本の政権を維持してきましたがその幕府を開いた家康公の銅像が意外と東京では見られません。先日訪れた江戸東京博物館の前でみて気づきました。お寺には祀られていますが施設や公園では見られません。やはり官軍に敗北したのが原因なのでしょうか?。この辺りは両国の国技館もありややこしい横網町(よこあみ)が有ります間違って横綱町(よこづな)と読み間違えますね。右の写真は明治7年創刊の朝野(ちょうや)新聞社です。記者が取材で乗ったと思われる自転車です。この明治初期当時は鉄道、自動車、飛行機もなかったのにわずか150年たらずでリニアーモータカーとか宇宙開発で宇宙ステーションに半年も住んでいます。本当に文明改革のスピードはすごいものです。

  目線を変えての釧路市内

2016-04-28
 釧路の写真と云えばMOOと幣舞橋が定番ですね。でもちょっぴり角度を変えて紹介します。左の写真は富士見坂からロータリーを撮ったものです。そして昔の釧路の中心街で啄木さんそして小奴さんや有名な八浪さんという料亭など居住地、繁華街も南大通を中心にありました。坂を上ると釧路市役所、釧路支庁、道警、測候所、税務署、日赤病院、市立釧路病院、学校など公共の施設が集中していました。右の写真は山の上から釧路川を撮ったものです。幣舞橋は隠れて見えませんが久寿里橋と旭橋です。写真では見えませんがその奥の方にもう一本、貝塚大橋も有ります。

 江戸東京博物館

2016-04-24
 江戸東京博物館に展示品ですが写真左は陣羽織真ん中は馬の鞍ですこの鞍は対馬藩に伝わるもので蒔絵などでほどこされた立派なものです。そして右の写真は当時の江戸の街を毎日魚を売り歩くのに魚を入れたタライを天秤棒にぶら下げて行商していた物です。当時の重さを知ってもらうのに見学者がかつげるようになってます。魚を全部売り切れるまで歩いていたそうです。江戸の魚屋さんというと私たちの年代は「一心太助」と「大久保彦左衛門」が頭に浮かびます。かたや威勢のいい正直者の魚やさんと天下のご意見番の彦左衛門が江戸の悪をこらしめるというお話が有りました。一心太助は架空の人物とも言われていますが?。江戸時代になると戦がなくなり陣羽織も着る事もなくなり刀も細身になり装飾的なものになってきました。平和な時代になり全国の藩主は経済政策に力を入れなければ藩の財政が苦しくなりました。最もお金のかかった参勤交代は大きな負担になり幕府の狙い通りになったわけです。

  冬の旭岳

2016-04-21
 北海道で一番高い山といえば大雪連峰の旭岳で2291メートル。旭岳は日本一冬を楽しむことのできる山といわれています。古来よりアイヌの人達は神々が遊ぶ庭と、大雪山の山々をカムイミンタラとよんでいたそうです。雪も6月末ころまであり秋の訪れは8月末になると紅葉が始まるそうです。9月には初雪が降ります。ほんのわずかな春、夏には日本でも最大級の高山植物の大群落がみられます。ちしま桜が咲くのが6月後半で日本一遅い桜の開花です。私は冬の寒さが好きではないけど山は冬の雪化粧されているのが好きです。マッタホルン、エベレスト、富士山もみんな雪で覆われている姿がたまりません。
  (左の写真はロープウエーから撮影。右は山麓の道から撮影したものです)
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