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何でも写真集〔保存版〕

北海道新聞
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紅葉の時期もまもなく終了

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  関宿街

2017-02-11
 ここ関宿は江戸から数えて47番目の宿場町です。関宿には本陣が2つ脇本陣も2つあったそうです。他に旅籠が42有りました。本陣は大名の参勤交代で使われていました。脇本陣は本陣に準じる宿で身分の高い人が宿泊したそうです。写真は伊藤本陣跡です。もう1つは川北本陣といいます。隣は一般の旅籠で右端は資料館ですがここは脇本陣の跡のようです。この関宿まで江戸から百六里あったということです。

  関宿

2017-02-04
 関宿のお祭りで使う山車を収納する倉庫です。正確には「山車倉」というようです。すごく背の高い山車のようで一般の家の二階より高いと思われます。隣は資料館で百六里庭・眺関亭です。屋根の一部を改造して屋上のようにしてあり上から関宿の家並みを一望できました。右端の家は骨董品のお店ですがたまたまお休みの日にぶつかり見ることができず残念でした。きっと沢山のお宝があったのではないかと思います。

  関宿

2017-01-28
 地蔵院の「かねつき堂」だと思います。隣の写真は地蔵院門前の街並みです。右の写真は郵便局が出来る前に高札所がありました。高札所とは人々の多く集まる 場所に設置され、法度や掟、犯罪人の手配などを木札に書き掲げ、皆に知らせた 場所です。それにしてもいつも思うことが有ります。どうして学校にも行かない人たちが字を読めたのでしょう。読めるから高札を立てたのでしょうね。関宿には江戸から幕府のお知らせなどが届き亀山藩が高札を管理をしていたので木の板に書き高札をたてたようです。その他に江戸時代には関は火縄の特産地で大名などが鉄砲に使うのに火縄を買い求めたり旅人がたばこの火にと持ち歩いたのでたいそう繁盛したそうです。

 関宿

2017-01-21
 関宿は自分の思っていたものとは大違いあれだけ楽しみして行きましたが全部を見てこられませんでした。ここに住まわれてる方のお話を聞いてるだけで時間は無くなり2時間で半分も見られたのか疑問です。今も昔のままの建物を大事に使っているのが感じられました。写真は街並みを撮ったものですが江戸時代の頃を忍ばせてくれます。右端の写真は庶民の足として使われていた「かご」です。展示していた資料館の方に聞いたところ担ぐ棒は展示するには長すぎるために切ったそうです。前に東京江戸村で魚屋さんがたらいに魚を入れ天秤棒で売り歩いていたものを(当時の重さ)担いでみたらやっと持ち上がりましたが歩く事は無理だと思いました。昔の人達は力が有ったのですね。

関宿町並み

2017-01-14
 関宿の街でおやっと思う事がありました。新聞販売店と郵便局です。江戸時代には瓦版はあっても新聞店は?。もう一つは郵便局ですこちらも明治4年3月に郵便取扱所としてスタートしたようです。その前には飛脚制度で民間で行っていましたが。距離により料金が異なり今なら考えられない高い料金のようでした。郵便制度にかわり国が行うようになり今のように全国どこでも金額が同じになり戸別配達になりました。飛脚便の時はその土地の旅籠かどこかさだかでは有りませんが一か所にまとめて届けると各人が取にきたたと聞いていました。したがって明治4年に初めて切手が発行され郵便物に貼って出し日本の切手制度の始まりだったようです。郵便局の箱には書状集箱と書いてありますからポストなのか?また一般の家(写真右伊藤本陣跡)には同じような箱で置いていました。別の家で見た郵便受箱と書いたものも有りました。 
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