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何でも写真集〔保存版〕

北海道新聞
日本経済新聞
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紅葉の時期もまもなく終了

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  関宿

2017-01-07
 旅の道中での注意を促した書物がありました。真ん中の写真は宿場を上から撮影したもので写真を拡大すると突き当りに見えるのが地蔵院です。その奥の山に雲がかかっていました。右の写真は昔のまま宿場の建物が残されています。今も沢山の方が住まっている関宿です。住まいをされている皆さんも古いままの宿場をと気を使っているようでした。古い住居を守っていくのも自分の不便さを我慢されているのだと思います。

    また関宿の旅籠に戻ります

2016-12-31
 旅籠の調理場に当時の備品が置いていました。徳利やちょうし、器など飾られ右の棚の下にお膳が沢山あります。真ん中の写真はガラスケースの中に飾られているお膳んです。旅籠の離れには少し立派な静かそうな部屋がありました。この部屋は武士を泊めたと言っていました。展示されてたお膳は大事なお客さんに使ったもの?と思われます。右の写真は燭台です。この時代は行燈と燭台で灯りをとってたので書物を読むのも大変だったでしょう。薄暗い灯火の下で書物を読み勉強されていた先人たちのご苦労が偲ばれます。

 伊勢神宮の回り

2016-12-24
 伊勢神宮を参拝し疲れた足を休めながら伊勢名物の「赤ふく」を食べさせるお店が有ります。他にも伊勢のうどんやいろいろな食べ物屋さんが軒を連ねています。帰りにはバスが待っていますがこのバスは三重交通のバスで神都バスといいます。明治のころに三重交通は路面電車を走らせていました。この辺りは神都線という路線だったそうです。当時の電車に似せたバスを神都バスいう名にしたようです。車内には当時の三重交通の会社の写真や電車の写真、伊勢神宮の写真もを飾られていました。電車は昭和の中頃まで活躍していたようです。因みに三重交通のこのバスは電気バスです。

   おかげ横丁

2016-12-17
 伊勢神宮から出てきたところに「おかげ横丁」というところが有ります。どうしてこのような名前になったのか?というとこの辺りに住まわれている伊勢の方々は昔から何事でも神様のおかげと感謝していたそうです。「神様のおかげと」いうことからこのような名前になったようです。そういえば江戸時代に「おかげ参り」というのがあったようです。おかげ横丁には沢山の食堂や土産店があります。伊勢神宮を参拝した人たちがこの横丁で足を休めたりお土産を買ったのでしょうね。裏通りを歩いたところお伊勢さんと関係があるかどうかわかりませんが赤い鳥居がありました。

  内宮境内

2016-12-10
 伊勢神宮では境内での通行の決まり事が有ります。外宮の境内では左側通行、内宮境内では右側通行です。内宮の境内を歩いているとこんな光景がありました。最初の写真を拡大するとわかりますが真ん中に落ち葉が所々に間隔を置いて固めて並べたように置いています。よく見たらセンターラインの代わりにわざと置いて有るんですね。次の写真は「神楽殿」と書いていますから神様に捧げる雅楽の演奏や能の舞台だったのかなと思っていましたが違いました。「神楽殿」はお神札、お守り、神棚等の授与や御神楽などの祈祷のご奉仕などを行うところのようでした。
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