今昔写真集 大楽毛
店舗
2015-03-20
3代目、現在の店舗です。機能性を重視し現社長が考えた設計です。今までの事務室は2階でしたのでお客様にも大変ご迷惑をおかけしました。これまでの不便さを考えて広い敷地に場所を移し事務室を1階におく事が出来、作業場も隣りで仕事がスムーズにできるようにしたり印刷室を新たに設けまた作業場も台などを工夫し従業員の負担が少なくなるようにキャスターをつけ可動できるようになり、かなり楽になりました。事務室も作業場も十分スペースをとったのですが新たに機械が増えて狭くなってきました。先日、地元の大楽毛小学校2年生の皆さんが見学にきました。折り込み作業、チラシを揃える機械、雨や雪の時に濡さないで届けるためのパックする機械を見て頂き最後に一人一人パックの体験してもらったところ大変喜んでくれました。見学にきて下さった小学生の皆さんに感謝です。
店舗
2015-03-10
2代目の店舗です。この店舗もやはり敷地が狭く2階が事務所で下が作業をする場所でした。新しい店舗を造る時は形を見ただけで何屋さんかわかる看板にしたいという夢がありました。でも看板ですから文句も必要です。さて、色々と考えましたが新鮮な言葉が出てきません。新しい感覚でなければだめだとの結論になり思い切って配達少年の若い力を借りる事にしました。何人かに趣旨を説明し文句と絵を考えてもらったところ、さすが彼らは柔軟な頭脳でした。集まったものはほとんど宇宙をテーマにしたものでした。それを参考にして作った看板です。右側の写真は絵の差し替えが出来るようにしたもので緊急時のお知らせもできるようにしました。また、この店舗の一番の思い出は猛吹雪で朝刊の配達に出られなかった事です。車も店の前から全然動けず配達を始めたのが9時ころで夕刊がくる少し前に朝刊配達終了ということが有りました。
店舗
2015-03-01
初代店舗前です。当時は雪も多く除雪体制も整ってなかったので
新聞配達にも大変苦労しました。この時の配達員は少年が主体で
でした。何せ彼らは元気が良すぎて綺麗なガラスのドアーに飛び
込んで行ったり自転車に乗っても曲芸師みたいな感じで交通事故
には絶えず心配をしてました。大雪の時でもあまり苦にせず変に
張り切って配達に出て行くし頼もしい反面逆に心配しました。通
常なら配達が終わってる時刻なのに戻ってこないので心配で探し
にいったことも度々有りました。写真は降雪中に夕刊配達に向か
う配達少年と店舗前の除雪をしているところです。この頃の大楽
毛は発展途上中でお店も沢山あり、スーパー、靴やさん、電気屋
さん、焼肉店、お寿司屋さん、自転車店、食堂、薬局さん一般商
店など賑やかに営業をしていました。
店舗
2015-02-19
解体された旅館
2015-02-08
昭和38年馬市の時だけのための丹葉旅館も廃業しましたが実は良く考えてみたら
いろいろな歴史がありました。戦時中は軍に徴用され熊部隊の将校宿舎となってい
ました。私は4歳位だったと思いますが薄らと記憶があります。また、戦後は釧路
空港の整地をする人たちや本州製紙の建設前の測量する人の宿舎としても利用され
大楽毛の発展の為の前線基地でもあり貢献していた旅館だったのです。
さて昭和42年に区画整理など緒事情で家を解体、新築するため新聞の仕事は車庫
ですることになりました。家族は近くの家に引越し私だけは車庫の中に寝る場所も
作り寝泊りしていましたが流石に雨漏りは絶えず心配でした。友達に手伝ってもら
い手作り店舗です。いま考えるとよく素人2人で造り上げたものです。
昭和42年の物価ですが蕎麦の、もり、かけは60円入浴料32円の時代でした。
今昔写真集 武佐
炭鉱住宅街の地域共同浴場
2014-10-22
太平洋炭鉱の従業員社宅
2014-09-25
大楽毛
大楽毛物語
NO.1 (2014-02-18 ・ 390KB) |
大楽毛物語
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大楽毛物語
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