紅葉の時期もまもなく終了
札幌市豊平区の車道の分離帯に
2015-10-08
この写真にあるリンゴは札幌市の豊平区の環状通り車道部分の中央分離帯に植えられたものです。まことに珍しい場所にりんごの木が植えられたのは昭和49年といわれています。実はこの辺りは平岸りんごとして(ブランド名はレッドゴールド、旭など)有名でした。平岸にはリンゴ園があり最盛期にはロシアやシンガポールに輸出していたそうです。また平岸に隣接する旭町も地名をつけるときにりんごの旭をつかったといわれています。実が出来食べごろになったら最初は勝手にもぎ取りりんご街道もあっという間に無くなったようです。その後豊平区の該当町内会で管理されドライバーの目を楽しませています。
福井県は歴史が満載
2015-10-04
写真左は曹洞宗大本山永平寺です真ん中は丸岡城、右はお城のハシゴのような階段です。(よくこんな急勾配の階段を上り下りしたもんですね)永平寺といえばNHKの大晦日の「いくとしくる年」の番組で昔は一番最初に映し出されていました。ここでは丸岡城についてふれてみます。このお城は平山城で(平城、平山城、山城と三つの呼び方があり平城は平らな土地に、平山城は平らな土地の小高いとこに、山城は山の上でこれらは地形で分けられている)天守閣は日本の城、最古の建築様式といわれています。築城は柴田勝家の甥、豊勝に命じて作ったものです。一向一揆をおさえるための築城だったのかとも思われます?。城内の床や板壁を見ると歴史を感じさせてくれます。織田信長公の領土になる前は朝倉義景公の支配地でした。
JA摩周の新そば祭り( 弟子屈町)
2015-10-01
今年で9回目を迎えたJA摩周の新そば祭りに行ってきました。1年間でほんのわずかな期間しか食べられない新そばを買いに行きます。この日は出来るだけ弟子屈のものをとJAで買ってきます。摩周の牛肉、豚肉、豆腐、野菜、そして出店から「いも団」「豚串」など、あんのじょう今朝はいも団子です。せっかく釧路から弟子屈町まできたんだからと少しでも応援出来ると嬉しいです。でもこれから2,3日は三食全部弟子屈のものになりそうです。新蕎麦を自分で打って食べましたが今年の新蕎麦は今までで一番美味しかったと思います。間もなく中標津も新蕎麦が売り出されます。蕎麦は三たてといわれ「ひきたて」「打ちたて」「茹でたて」このタイミングで食べるのが最高でつまりお蕎麦の旬です。新そばを買っていつまでも置いておくと普通のそばになってしまいます。やはりこの時期に集中して食べるようにしています。毎年新蕎麦の時期が楽しみです。いつまで行けるか分かりませんが元気なうちは弟子屈町まで何とか行きたいと思っています。
今年も羊蹄山に登った~
2015-09-27
先日札幌の知人がお嬢さんと羊蹄山に登るとメールを頂いたのですかさず撮影してほしいとお願いしました。昨年に続いて二回目だそうです。話を聞いてみたら昨年は山登りの初心者で前日から緊張していたそうですが今年はそれなりに自信もあったようで楽な気持ちで望んだようです。しかし現実は厳しく安易な気持ちも7合目あたりでぶっ飛んだそうです。足は動かなくなり本気で棄権しようと思ったようですが、しかしちょと待てよここで棄権したら娘になんて言われるかが頭をよぎった途端よし頑張ろうと…それでもなんとか頂上まで行ったそうです。登山コースも初心者コースの真狩から登ったそうです。頂上についても昨年のような達成感も涌いてこず、ただただ良かったというのが本音だったようです。下山したとたんに豪雨にみまわれ車に逃げ込みほっとしたと言っていました。写真左は羊蹄山、中の写真は山小屋、右は火口を撮ったものです。
福井県の東尋坊
2015-09-20
写真左は福井県の東尋坊ですが普段は大荒れが多い海のようですが私が訪れた時は平静な美しい海でした。ここは投身自殺の多いところのようで右写真の電話ボックスから家族に電話をして下さい。そして飛び込むの思いとどまってほしいとの思いで設置された救いの電話といわれているようです。電話ボックスには10円玉やテレホンカードが置いて有ると聞きました。また、東尋坊の名前の由来は修行中のお坊さんが同僚の東尋坊が酒を飲み働かないで困り果て先輩に何とかしてほしいと何度も相談したそうです中々あらたまず、とうとう先輩は東尋坊を連れ出し酒を飲ませ酔ったところを崖から突き落としたそうです。その後この海はたえず大荒になったようです。何時しかこの海岸を東尋坊といわれるようになったという話です?。